3/10(日)、3/11(土)と、今年も富士見町コミュニティプラザで「花は咲く」を演奏させていただきました。
今年は能登半島地震があり、弾きますよ〜とお声がけするのも少し違和感を感じたので、ひっそりと弾かせていただきました。
時が経てばだんだんと風化し、また別の震災があり、この日の演奏の意義も少しずつ変わっていくように思います。
また震災だけでなく様々な災害、戦争、もっと個人的な悲しみや苦しみ、何もなく生きている人など誰もいないのだと気がつきました。
13年で変わっていくものもありますが、私の中でずっと変わらないのは、日常は当たり前ではないということを確認して、目の前の人や出来事を改めて大切にしようと確認する、大事な機会であること。
すべては「有(在)り難い」と思い出すこと。
13年の時間で私の中で変わっていったのは、私はどんなときも希望を奏でたいということ。誰かに届く、届かないはまた別のこととして、私は音楽で希望を奏で続けたい。この世界の何らかの光でありたい。
私の生き様を音楽で表現することに懸けているから、私は音楽家なのです。
それが私がこの震災と向き合って見出した、一つの答えです。
LCVさんが取材してくださいました。