小さい頃、オトシブミのゆりかごを見つけては無心で開いた。
中にはいつも、小さな卵が一つ。
なぜ、オトシブミはこんなにも綺麗に葉を巻けるのか。
幼虫は、お父さんもお母さんの顔も知らずにそのゆりかごを食べ、守られて育つ。そして、やがて誰かに教わるわけでもなく、小さな卵とゆりかごを残して還っていく。
その不思議は大人になった今も、私には何か重要な秘密の扉のよう。
子を思う気持ち、育ちたい気持ち。生きたいという気持ち。
いや、そもそも虫に気持ちはあるのだろうか?それとも本能だろうか?
もしも私たちもこの地球の秩序の一部だとしたら、オトシブミと同じように誰から教わるでもない愛を、生きる本能をこの命にプログラムされているのだろうか。
何かを教えようとするのではなく、自然のプログラムと人間社会とのバランスを整えてあげたら、子どもたちは自然に他者を思いやり、生きることに前向きになれるのだろうか。
そんなことを考えるようになってから、咲いたばかりの花のような美しい音楽の瞬間を、子どもたちからたくさんいただくようになった。
私は時に光になり、雨になり、水になって、この世界や人を潤して生きたい。
そしてやがてこの世界から私が忘れられても、私の音楽が未来を生きる誰かの力となり、守り、潤すものであったなら嬉しい。
詠み人知らず、それでもいい。
誰かが落としていった文のように、時空を超えて誰かがゆりかごを開けるのだろうか。可能性の卵が育つのだろうか。
そしてまた新たなゆりかごが生まれては還り、この物語を綴り続けるのだろうか。
プログラムされているかのように、私もこの地球に生き、音楽を奏でている。












